はたらくちから, 未分類, 社員の活躍

社長インタビュー(前編)

代表取締役社長
堀口 岳士(ほりぐち たけし)

堀口岳士は早稲田大学大学院を修了後、株式会社本田技術研究所で自動車の設計に携わっていた。
ところが、入社して6年目の2004年(平成16年)31歳の年に、妻の父が代表取締役を務める大同工業株式会社への転職を決断する。
その日を境に、運命は大きく動きはじめた。

専門学校で知った建築の面白さ

「私はもともと堀口家の人間ではなく、建築にも縁がありませんでした。
その話が出たのは、妻と結婚して子どもが生まれた後のことです」。
大同工業への転職を決断したものの、同じ理工系でも、機械と建築ではまるで分野が異なる。
「勉強する期間をください」と相談し、夜は専門学校に通い、昼は大同工業と同様に建築家の作品を数多く手掛ける東京の施工会社を紹介してもらい、そこで現場監督見習いをするという二重生活がスタートした。
しかも、当時は幼稚園に通う2人の娘を抱えていたうえに、半分学生、半分社会人という生活。
大変ではあったものの、今となっては一生懸命頑張っている父親の姿を娘たちに見せることができたのではないかと振り返る。
一からの勉強は大変だったが、専門学校の先生たちは“建築愛”にあふれており、授業の熱弁に感化されるように、堀口も建築の魅力にはまっていく。
卒業設計は、伊豆の海際の集落をイメージした作品。
締め切りが迫るとアトリエにこもり、寝る間も惜しんで制作に打ち込んだ。
畳1畳分におよぶ大作模型を完成させたとき、建築への思いはさらに大きく膨らんでいた。

設計と現場、二つの視点を得て

東京の施工会社では現場監督を1年経験した。
周囲で飛び交う専門用語が理解できず、当初は右往左往していたという。
「『左官屋さんって、どの人ですか?』と聞いて回るようなやつが来て、皆さん、きっと迷惑していたでしょうね(笑)」
的外れなことをして怒られながらも、年下の社員に教えを請い、一つずつ知識を増やしていった。
翌年からの2年間は設計事務所に勤務して、大型プロジェクトを進める迫力を肌で感じた。
短期間ではあったが、作る側と設計する側の双方を体験し、満を持して大同工業へ正式入社したのである。

前職との意外なつながり

前職では自動車のボディ設計を担っていた堀口。
それは奇しくも、大同工業で担う立場とよく似ていた。
自動車をデザインする専門家と製造工場との間をつなぐ設計。
建築をデザインする建築家と現場の職人をつなぐ監督。
前職との共通点を見出し、不思議な縁を感じたという。

こうして、本格的に大同工業での仕事がスタート。
しかし、その先には思いもよらない困難が待ちうけていた。

(後編に続く)

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